「暮らしの余白」

「生活には隙間が必要だ」と言いたい。
そうしてその隙間は無拝借から生まれると僕は断言する。
日々の生活では、自分は屋敷借金、自家用車の借金豊か拝借がある。養育に伴う学資もひょっとしたら拝借に組み入れられるかも知れない。自分も羨む中小企業の社長もまた、余裕があるように見えて拝借と無縁では無い。銀行からリソースを借り受け、働き手の手前では大きな放言を言いつつも現実は火の車のところもある。
 私のような、日本のコーナーで小さく生きている性分だが、拝借が無いは余裕があることに従い、一種の愉悦もある。己はOKと日々受けとることがある。
 また、父母が残してくれた資源もあり、働いてはいるが、いざとなったら、仕事を辞めて、隠遁生活にも押し込めることも僕にとっては歓びです。
 とはいえ、仕事には助けになったこともあるし、60までは働こうという。それは仕事のビジネス良心で辞職が60だと決められているからだ。恐らく仕事は再転職を名乗り出るだろうが、断ろうという。というか、もう撥ねつけることに決めていて、親しい人にはそれとなく漏らして掛かる。
 60過ぎ何をしようかと考える。好きな文の日雇いもいいし、道楽の合唱にも力を入れたい。隙間はコストからでき上がるものであると改めて僕はおもう。http://www.beautifulstory.sakura.ne.jp/%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%82%A6%E3%82%B9/%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%82%A6%E3%82%B9%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E3%81%AA%E3%81%97.html